不機嫌な顔の拝み屋は居ません。従って憑き物は憑きっ放しです。
因みに私自身はオカルト趣味者であり、超自然的現象は、あった方が面白いという考え。
信仰では無いので、「詰まらない説明は幾らでも付けられるけどな」と思っています。
そう、以下の話が、如何に自分の体験談とはいえ。
起・承・転・結・闇・奈落、でお送り致します。
一応「結」で区切りが付いており、「闇」の先はやや方向性が異なるので、ご注意下さい(私が見なかったモノは、其処に居ます)。
私の父方の実家は、非常に山奥の田舎にあります。
今でこそスキー場が出来たりして多少は拓けた感がありますが、この話の当時――私が子供の時分には、そんなものはありませんでした。つまり、娯楽施設皆無。
「山に閉じ込められた」とでもいいますか、眼前に山、背後に山、左右にも壁のようにこれまた山があるので、非常に日暮れが早い場所でもあります。日没前に太陽が隠れてしまうのです。
カブトムシは彼誰時に木を蹴って拾うものでした。
裏の柿の木は、秋になると猿の群れがやってきて占拠するのだと聞きました。危ないからと止められたので、見た事はありません。
冬ともなれば積雪で、私の生まれる前は、偶に1階から出入りできなくなったそうです。当時はもうそれ程ではなくなっていましたが、それでも悪戯で掘られた穴に入れられると、外を見るには真上を見る他無い程度に積もる事がありました。小さな子供の視点ですけれど。
……この話をすると、毎回の様に「何時の時代の話だ」と云われます。
そんな、受ける印象ほど昔の事ではないんですよ。
さて、周辺は田舎なだけでしたが、実家は本当に時代がかっていました。
屋根裏には蚕、地階には馬の為の部屋があるという按配。流石にもう農耕馬を遣う事はありませんでしたので、物置として人間用に改装してありましたが…蚕はまだ養っておりました。急な角度で危なっかしいくらい角の取れた階段を、手でしっかりと掴みながら登ると、独特の匂いと静かな…しかし途切れる事の無い音がした事を覚えています。
薄暗い古い部屋の中で、さわさわ、さわさわ…と。
そんな訳で、家の隣は桑畑。蚕のご馳走。
序に云うとそちら側には、裏山へと続く細い…獣道と合流する様な感じの坂道もあり、その脇にはお茶の木が垣の様に1列に、しかしそれにしては疎らに植えられています。
前は田んぼ。もう片方の隣も田んぼ。すぐ後ろはちょっとした石積み絶壁となっております。
前後に他の家は無く、隣家は畑や田んぼを挟んでいます。
この様な環境ですから、遊びに来た時には虫取りや探検が主任務となっていました。
因みに魚の棲む素敵な清流も間近だったのですが、夏でも痺れるほど水が冷たい上に虻やブヨの洗礼を受けますから、それほど食指は動きません。
とある休暇、田舎に遊びに来ていた我が家族から急病人が出ました。
妹です。
小さな子供だった私の、更に妹です。
幼児がいきなり高熱を出すという事態に、大人達は慌てて休ませますが、それだけでは心配なので医者に診て貰う事になりました。
回診なんて無理ですから、近くの町まで車を飛ばします。
ご想像の通り、全く近くありません…。
当時は良く解らなかったのですが結構大変だった様で、両親も祖母も一度町の方に向かう事になりました。多分、祖父は朝から山に出ていたと思います。
私はお留守番。病院に行くと病気を拾い捲るという実績がありますし、自身も行きたくありませんでしたので。
遠くに行かないように。
強いてその言いつけを破りたくなる事はありませんでしたから、無難に母屋を探検して時間を潰します。
死ぬほど沢山の布団が詰め込まれた木の扉の押入れにもぐりこんで、布団と壁の隙間に無理矢理身体を押し込んで扉を内側から閉めてみたり。仏間の鴨居上に飾られている、白黒の知らない男の人の額縁写真をぽかーんと見上げてみたり。蚕の部屋でだらけたり。元・馬の部屋で色んな物を発掘しては片付けなかったり。貼られていない障子紙を潤沢に用いて、落書き絵巻を作ったり。
案外と退屈しません。大人どもが居ないので、常に輪を掛けて遣りたい放題です。
そして……誰も呼びに来ないので、戯れていた家隅の暗がりと同じ位にとっぷりと、日が暮れてしまいました。
空腹です。
何も食べずに遊んでいたのですから当たり前ですが。
ふらふらと台所に行くと……ろくなものがありません。もう少し詳しく言うと、漬物等の常備系副菜しか無いのです。
大人しくそれらをポリポリ齧っていると、叔父が姿を現しました。
両親と祖父母が出掛けてしまったのは前述の通りですが、小さな子供を一人で留守番させるのは無謀ですから、当然、私の他にも人は居たのです。
私の父は長男で、この叔父は末っ子ですから、当時は成人していなかったでしょうけれど。
「あれ、もう腹減ったんか?」
もうも糞もないですが、日が暮れたとはいえ夕飯には早い時間なのは確かです。
「お昼無い」
「ここにあったの食べたろ?」
叔父は、小さな子供が台所で食事をしている様な光景を見た気がすると、その様な趣旨の事を言いましたが、私は今の今まで「食事を用意し忘れたのだろう」と思っていた位なので、ちゃんと食べ物が準備されていた事すら知りません。
そうこうしている内に、祖父が山から帰って来ます。
父と祖母が取り敢えず帰って来ます。母は病院に残っている様です。
一気にごちゃごちゃ騒がしくなり、有耶無耶のままに夕食になりました。
喰ってねぇよ。誰だよその子供。
鬱々とする子供の私。誰も私の云う事を聞いてくれる程暇では無い様です。
直近の隣家は畑や田んぼに隔てられ、軽く50m走が出来ます。子供は、更に田畑を挟んだ、向こうの家くらいにしか居ません。年もちょっと違います。小さい頃の1,2歳は結構な差です。オマケに、遊びに来る様な交流も無く…。
今更確かめようの無い謎は、未だに謎のままとなっています。
※爽やかに終わりたい人は以下を読まないで下さい。
数年後。
とても古い田舎の家は、余りに古いので、そろそろ流石に建て替える事になりました。
何しろ、隙間風は吹くわ羽アリは座敷に群れるわ、雨漏りは起こるわ…緊急ではありませんが、確かにヤバい兆候はあったのです。
少し大きくなったもうすぐ中学生の私は、寂しいけれど仕方が無いなと思いました。探検をする歳でもありませんしね。
父は、大工になった叔父に新しい家を造らせました。
木造の日本家屋、とても立派な家です。
親孝行だからと工事費は全て父が持ち、結婚していない弟たち(叔父2人)を住まわせます。家長としてやるべき事をやる彼に迷いはありません。
……結果から云えば、この建て替えが、家族の解体に結び付いてしまった様です。
それまでもすれ違いの多々あった父母ですが、新しい家の台所などに母の意見を容れず、母が「ここは私の部屋」と思っていた洋間は叔父が使う等、古いままならどうでも良かった事が争いの種になりました。しかもローンは家計を圧迫する訳で。
この頃から声高に争う事が多くなり、長い紛争状態を経て離婚に至ります。しかもかなり致命的な断絶の。
私は未だに思うのです。
座敷童は、新しい家に移り住まなかったのだろうな……と。
現在、母と伯母(母の姉)が、母方の祖母の家を新しく造っています。
洋風の素敵な家です。
祖母は要らないと云ったのですが、今の家には次の住人まで決まってしまったのでどうしようもありません。
私の部屋も作るのだそうですが、意見を求められた事はありません。そもそも、引っ越す予定無いですよ?
何処かで見た、構図なんですよね。笑うしかないというか。
<未完>
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