土曜も仕事なので微妙に浮かない気分。
こういう時にはどーでも良い事をウダウダ考えがちです。気鬱って訳でもなく、纏まらない思考を垂れ流すだけなんですがね。
好き嫌いについて。
感情・価値観・評価に関する事は宗派論争化しやすいので、面倒を避けたい私は、基本的に「全否定的な直言」を回避する事にしています(勿論、例外はある)。
強い表現には、それなりの反作用が来ますから。
何かを嫌いで居る事自体は、好きで居るのと同じ位自由なんですが。
自由である事と「何をやっても怒られない」事とは違うから、何かを実行する時には他人がそれに如何反応するかを予想して、表現や手段を工夫しないと拙い。自己防衛的に。
これは「事前準備が欠かせない」という意味であって、「口にする事まかりならん」っつー訳ではない。自分が黙っていられなかった問題については他人も黙らないだろうし、他人の中には価値観が違う(時には正反対の)人も、当然、存在するんだよね。
要は、自分が「何処までの反応(反発)に耐えられるのか」という限界を量りながら喋るのが無難って事かと。
怖い反応が嫌なら、尖ってはいけない。
秘密について。
会社で「●課の●●さん(仕事とはまるで関係ない理由で)嫌い」とか、さらっと口にする方がみえて、実に危なっかしいんですよ。
声は低めてるから内緒話の心算なんだろうけれど(聞いた私としても吹聴する気は無いけど)………秘密を秘密のまま胸に収めておける人って、実は余り多くない。
だってなあ、内緒話って、秘密を守らなければならない(暴露が自分の不利益になる)立場の人自身が、秘密にしておけなかった話なんだしさ。黙っておくという単純な忍耐は、かくも難しい。
自分に出来ない事を、他人にだけ期待するってのもねえ。
他人を信じる事について。
「リスクを承知した上での信頼」と、単なる「見通しの甘さ」「責任転嫁(或いは共犯化)」は区別しとかないと、と思う訳です。
信頼が「責任は全部オマエ。よきに計らえ」を意味するならば、相手にとって有難がる義理なんて欠片も有りはしないし、寧ろ迷惑なだけかと……この辺りの難しさをクリアしている自信が無いので、私にとって「信頼してますよ」という一言は、物凄く口にし難い言葉と化しています。自分が本当に信頼しているのか、確信が持てない(相手ではなく、自分の側の甘えが問題)。
恩着せがましくならんか不安。
多分、信頼していても、それを言葉として当人に告げる事は出来ないと思う。
「自分に対して不利益な事(注)をしたとしても、それには恐らく相応の理由や事情がある。あいつの考えた事だ」……というレベルで人品や判断能力を信じられるのが、私にとっての「信頼」ですね。都度検証はしますが。
我ながらハードル高いな。自分が該当出来ない(笑)。
- 注:失敗が無い人間は居ないし、利害や感性が完全に一致するのは寧ろ有り得ない。その辺を許容出来ないと必ず「裏切られる」…何かの神じゃないんだから、無いもの強請りは如何なものかと。
一方で、じゃあ他人を滅多に信じないのかと問われれば、実はそうでもない。
他人の善意は結構疑っていない方。「当人は、私にとって良かれと思った事をしてくれているだろう」という意味で。
……善意で行った事が必ずしも適切とは限らない、というのは、自分にもそっくり当てはまる事実。正義と正義の対立で戦いが起こる。
実にままならねぇ。
私が悪って事でいいんだぜ、と。
結論は無い。
本当に纏まらないな。だが、それでいい。
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